雨が降っても空の上では、いつも晴れのち晴れ
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9th Story CDが9th Story CDだった!!!!!!!!!
何を言いたいのか解らないと思いますが、私は今の今まで、9th Story CDというのはミスリードで、CDを聴いた瞬間にそれは8th Story CDになるのだと思っていたのです。
ちょうど、イドイド発売前までボーカルがイドルフリート・エーレンベルクであったのが、CDを聴いた瞬間、物語が始まった瞬間、メルツが死んだ瞬間、イドルフリート・エーレンベルクの意志を塗り替え、メルヒェン・フォン・フリートホーフが産まれたように、我々が8枚目に聴くStory CDになった瞬間に、9th Story CDではなく8th Story CDになると思っていたのです。
が、当然ながら9thは9thでした。
疑心暗鬼過ぎましたが、ある意味では言葉の通りなのでしょう。
「もしあの時こうだったら、何かが変わっていたのだろうか・・・」
私はこの言葉を、
「もしもこのCDが8thではなく9thであれば何かが変わっていたのだろうか」
と解釈しました。
「が、残念ながら8th Story CD(8枚目のStory CD)であるため、何も変わらなかった。
故に悲劇は起きたのだ」
と思ったのですが、お聴きしたローランならばご存じの通り、悲劇は起きなかった。
「もし」はCDの中で起きていた。
「もしあの時こうだったら」彼等、彼女等は幸せになれていたのだろうか。
不幸と幸福の分岐点を隠し、差し詰め「シュレディンガーの猫箱」のように「生と死」どちらの可能性も残した状態で観測した物語。
私は9th Story CDは、陛下本人による二次創作のようなものだと解釈いたしました。
今までの地平線で、彼等、彼女等は不幸な未来を選んでしまった。
だがしかし、もしも幸福な未来を選んでいたならばどうなっていたのだろうか?
陛下なりの解釈で創られた「パラレルワールド」
その一端を、ほんの少しだけ覗き見た地平線が9th Story CD。
観測者が観測できなかった、物語の裏側、隠れた部分を、別の観測者の目線から見たら、もしかしたら幸福な未来があったのかもしれない。
不幸な物語だけをそのまま素直に受け取るのではなく、物語の裏側に隠れている幸福をローランが描写しても良いんじゃないか?
だって、Revo(僕)本人がこんな解釈の仕方をしちゃうんだぜ?
もっとさ、自由に表現しても良いんじゃないかな?
そんなメッセージを受け取ったような気がいたします。
嘗て陛下は、劇場版の舞台挨拶の際(7thであったかアクホラであったかは失念いたしましたが恐らく7th Märchen映画だったと思います)、
「8thと9thはもうどんな物語にするのかは決まっている。どっちも同じくらい難しい。でも8thの方が難しい。もしかしたら9thの方が先に出るかも?(笑)」
とおっしゃられました。
我々は、また陛下の冗談だと思い、爆笑していたのですが、本当に本当に9thの方が先に出てしまいました。
してやられた!とは正にこのことですね。
地平線、Story CDの概念自体すら作品を表現するためならば捻じ曲げてしまう。
物語とは、斯くも自由なものなのだ。
陛下が何故この地平線を9thとしたのか。
マーベラス小宇宙(仮)で「Dear」と言ってきたのは誰なのか?
現在の陛下か?皇帝になった未来の陛下か?それとも平行世界の陛下か?あるいは似非か?
嗚呼成程。
こんなところにさえ、解釈の違いにより物語は生まれるのだ。
それをどう受け取り、咀嚼し、表現するのかは、我々ローランの自由なのだ。
何を言いたいのか解らないと思いますが、私は今の今まで、9th Story CDというのはミスリードで、CDを聴いた瞬間にそれは8th Story CDになるのだと思っていたのです。
ちょうど、イドイド発売前までボーカルがイドルフリート・エーレンベルクであったのが、CDを聴いた瞬間、物語が始まった瞬間、メルツが死んだ瞬間、イドルフリート・エーレンベルクの意志を塗り替え、メルヒェン・フォン・フリートホーフが産まれたように、我々が8枚目に聴くStory CDになった瞬間に、9th Story CDではなく8th Story CDになると思っていたのです。
が、当然ながら9thは9thでした。
疑心暗鬼過ぎましたが、ある意味では言葉の通りなのでしょう。
「もしあの時こうだったら、何かが変わっていたのだろうか・・・」
私はこの言葉を、
「もしもこのCDが8thではなく9thであれば何かが変わっていたのだろうか」
と解釈しました。
「が、残念ながら8th Story CD(8枚目のStory CD)であるため、何も変わらなかった。
故に悲劇は起きたのだ」
と思ったのですが、お聴きしたローランならばご存じの通り、悲劇は起きなかった。
「もし」はCDの中で起きていた。
「もしあの時こうだったら」彼等、彼女等は幸せになれていたのだろうか。
不幸と幸福の分岐点を隠し、差し詰め「シュレディンガーの猫箱」のように「生と死」どちらの可能性も残した状態で観測した物語。
私は9th Story CDは、陛下本人による二次創作のようなものだと解釈いたしました。
今までの地平線で、彼等、彼女等は不幸な未来を選んでしまった。
だがしかし、もしも幸福な未来を選んでいたならばどうなっていたのだろうか?
陛下なりの解釈で創られた「パラレルワールド」
その一端を、ほんの少しだけ覗き見た地平線が9th Story CD。
観測者が観測できなかった、物語の裏側、隠れた部分を、別の観測者の目線から見たら、もしかしたら幸福な未来があったのかもしれない。
不幸な物語だけをそのまま素直に受け取るのではなく、物語の裏側に隠れている幸福をローランが描写しても良いんじゃないか?
だって、Revo(僕)本人がこんな解釈の仕方をしちゃうんだぜ?
もっとさ、自由に表現しても良いんじゃないかな?
そんなメッセージを受け取ったような気がいたします。
嘗て陛下は、劇場版の舞台挨拶の際(7thであったかアクホラであったかは失念いたしましたが恐らく7th Märchen映画だったと思います)、
「8thと9thはもうどんな物語にするのかは決まっている。どっちも同じくらい難しい。でも8thの方が難しい。もしかしたら9thの方が先に出るかも?(笑)」
とおっしゃられました。
我々は、また陛下の冗談だと思い、爆笑していたのですが、本当に本当に9thの方が先に出てしまいました。
してやられた!とは正にこのことですね。
地平線、Story CDの概念自体すら作品を表現するためならば捻じ曲げてしまう。
物語とは、斯くも自由なものなのだ。
陛下が何故この地平線を9thとしたのか。
マーベラス小宇宙(仮)で「Dear」と言ってきたのは誰なのか?
現在の陛下か?皇帝になった未来の陛下か?それとも平行世界の陛下か?あるいは似非か?
嗚呼成程。
こんなところにさえ、解釈の違いにより物語は生まれるのだ。
それをどう受け取り、咀嚼し、表現するのかは、我々ローランの自由なのだ。
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